長く続いている飲食店の料理は具が少ない気がする
鎌倉駅のそばに「RONDINO(ロンディーノ)」という喫茶店がある。1967年から続く名店で、今年で創業57年にもなる。店に入り、カウンター席に座ると、ジュウ~という音とともに、ケチャップのおいしい香りがしている。メニューを見ると、「スパゲッティ」と書いてある。この音と香りは、カウンターの向こうにあるオープンキッチンでスパゲッティを調理しているのだろう。
つられて私もスパゲッティをオーダーする。すると、次に入ってきた客もスパゲッティを注文していた。元々人気メニューなのか、みんなが私のように音や香りにつられているのかはわからない。
そのスパゲッティはというと、具がマッシュルームだけしか入っていない、とてもシンプルなものだ。でも、食べるとおいしい。私は次もスパゲッティを注文するかもしれない。
ふと思うのだけれど、長く続いている飲食店は、具が少ないような気がする。量もそれほど多いわけではない。いたって普通の量だ。そして、感動的な美味というわけでもない。普通においしくて、普通にお腹が満たされる。そんな感じだ。
以前、凝ったカフェで、凝ったカフェラテを飲んだ。とても濃くておいしかった。けれど、毎日飲みたいかと問われると、そうは思わなかった。毎日飲みたいと思うのは、スターバックスのカフェラテであり、コンビニのカフェラテだ。
長く続く店は、毎日通っても飽きなくて、財布や胃に負担にならなくて、それでいてそれなりにおいしい店と定義できそうだ。具が少ないので、原価が安くて維持しやすいというのもあるかもしれない。そういう店は、材料の質や量ではなく、技術でおいしさを提供している。技術は調理の腕だけとは限らない。居心地の良さとか、おいしそうな音とか香りとか、接客の良し悪しなどもあると思う(長く続く店は接客も気負わず普通であることが多い)。
いちばんは、客層ではないかと思うこともある。長く続く店の客は常連であることが多いので、みんなで店をつくっているのだ(そんな気はなくても)。
今日は(いつも?)、いったいなんの話だ? と自分で書いていてそう思う。誰に何を伝えたいのでしょうねー。自分でもわかりません。
写真は、GRⅢのワイドコンバージョンレンズのテストで撮った、アミュプラザ長崎新館と長崎駅の一部。
2024年4月某日撮影